~葵花向日~/へっぽこ管理人日向葵の戯言。

嫁さんも絶賛。

しばらく前から時々流れる、東芝のLED電球のCMが素敵です。




こういうCMに感動してしまうあたり、大人になったんだなと感じます。

10年前のわたしにはそれほど響かないと思います。

序盤に彼女とやっていたテーブル卓球を後半に子供たちがやっているあたりが特にぐっときました。


わたしの人生もこのくらい順調だといいなぁ。
| へっぽこな日々 |
| 08:44 PM | comments (0) | trackback (0) |

夫婦で胃腸炎。

土曜日に息子が2回嘔吐、でもその後はなんともなかったので安心していたのですが。

大人2人にうつったようで、この週末は完全にダウンしていました。


今日になって幾分落ち着いたのですが、本当にあれは辛いですね。


インフルエンザ、胃腸炎と流行っております。皆様もお気をつけて。
| へっぽこな日々 |
| 01:04 PM | comments (0) | trackback (0) |

都合が悪い時だけ壊れる?

「2号機の温度計故障か、一時100度超」

出典:TBS NEWSi

1月12日夜から、2号機の温度計が100℃を越えていると。


>東京電力では、2号機のほかの温度計に変化が見られないことから、温度計が故障した可能性が高いと分析していますが、
>圧力容器の底には溶け落ちた燃料の大部分が留まっていることから、燃料が移動した可能性も含めて温度上昇の原因を調査することにしています。

もう、全く信用できませんね。


1月9日に4号機が爆発したという噂やら何やら。

ここに至るまでの不信感のせいで、

「どうせ、大変なことは後から『ただちに健康への影響は~』とか言って発表するんだろう」

としか思えなくなっています。
| へっぽこな日々 |
| 09:06 PM | comments (0) | trackback (0) |

震災から10か月。

震災から10ヶ月がたちました。
すごく昔の事のような、あっという間だったような。

県から来た行動調査もまだ未提出です。あれは面倒がかかりすぎです。
書かなくちゃ、とは思っているのですが。

向こうを書き始めるきっかけになれば、と備忘録的に震災等についてまとめてみました。


●3月11日
震災発生時、わたしは妻子と一緒に東京駅にいました。

14:44に新幹線を降りて、
14:45に乗換改札を通って、
山手線ホームにいた時に揺れました。

ホームに着いたとき、ちょうど電車の扉が閉まるところでした。
走れば乗れたのですが、今思うと駆け込み乗車しなくて本当によかった。
もう「駆け込み乗車すべからず」を家訓にする勢いです。

東京駅が崩れるのでは?と思うほどの揺れの中、

「東海か東北・・・もしくは首都直下型?」
と思ったのを覚えています。


しばらく東京駅前、リムジンバス乗場で待機&情報収集していました。
この時点では、どうやら東北がありえないくらい大変らしい、という程度の情報。

交通機関は軒並み不通、そんな中羽田空港は一応動いているらしいと。
しかし首都高は通行止で再開未定、電車も同様で駅は大混乱でした。
しばらくして、リムジンバスも運休が決まりました。
東京は新幹線を降りて羽田から飛行機、という乗継通過の予定でしたので、
休むところも泊まるところもなく、しかも妻子連れ。
とりあえず羽田をめざし、どうしようもなくなったら東京在住の友人を頼ってみようか…とか考えていました。

幸い、幸運が重なりタクシーを拾い羽田に移動、飛行機の座席も確保できて東京を脱出できました。


●3月12日
数日程度九州で様子を見たかったのですが、勤務の問題もあり、とりあえず自宅に戻るべく移動を開始しました。
東京は依然混乱しており、東北方面に向かう手段は限られているとのこと。
羽田から東北各地に飛行機が飛んでいるとの情報があったものの満席状態でいつ乗れるか不明。
11日の混乱ぶりからも、東京に向かうのはリスクが高いと判断しました。

公共交通手段は混乱が予想される上に息子が限界になりそうだったので、
名古屋で借りられるようレンタカーを予約、新幹線で名古屋駅まで向かいました。
(ちなみにこの時、東京・神奈川には既にレンタカーはありませんでした)
この移動中に多くの友人と連絡がつき、安心すると共に心温まる思いでした。

しかし、レンタカー屋に行ってみると、郡山支店には連絡がつかず。
東京以北は状況が不明のため返却先にはできないと言われました。
仕方がないので、とりあえず各方面に動きやすく混乱も少ないであろう前橋を目的地に設定。
中央道経由で移動を開始しました。

12日朝の時点で原発周辺10kmは避難指示が出ていましたが、自宅は50km以上離れており、
家までたどり着くのにどのくらいかかるかわからないこともあり、
とりあえず向かって、何かあれば踵を返そうと思っていました。
(今思うともう少し慎重になるべきだったかもしれませんが)

午後に1号機の水素爆発、夜には避難指示が半径20kmに拡大。
この状況で安易に被災地に近づくのは躊躇われたのと、正直不安と疲労もあり、諏訪で1泊しました。

ちなみに政府は
官房長官「格納容器に損傷はなく、外部の放射線物質はむしろ少ない」
保安院「現時点で炉心溶融が進行しているとは考えていない」
と、12日夜にはまだ比較的楽観的でした。


●3月13日
昼頃に前橋に到着しました。レンタカーは、郡山は依然連絡がつかないものの、大田原の支店と連絡が取れ、
延長してもらいそのまま家を目指すことにしました。
一旦家まで行った後にレンタカーを返しに大田原まで行く必要が生じましたが、
「一手間増えるものの家に辿り着ける算段がついた」
ことに大喜びした記憶があります。

さらに、レンタカーで家まで行けることが決まったので前橋で可能な限り買い出しをすることができました。
ちょうど被害の規模等が分かってきたころで、買いだめが始まった頃だったんだと思います。
ガソリンは10Lもしくは1000円制限になっていたものの少し並べば入手可能で、満タンまで入れることができました。
灯油もありましたが灯油缶やガソリンの携行缶は品切れでした。
水は皆で買って品切れになっていく最中で、ぎりぎりある程度入手できました。
その他米やパン、保存食等をある程度確保できたのは大きかったです。
カセットコンロのガス、乾電池も確保できました。
しかし、夕方に寄った店では皆が買いたくなるような品は軒並み売り切れていました。
国道461号から日光を通って栃木に出て、国道4号を白河まで。
一応車は流れていたもののだいぶ渋かったため、国道294号を迂回して自宅に着いたのは日付も変わる頃でした。

自宅は、台所の物が散乱し、2階のタンスや棚が倒れていましたが奇跡的にテレビは無事でした。
冷蔵庫の扉が開いてしまい、中の牛乳等は念のため破棄しました。
冷凍庫も開いていましたが、一緒に入れていた保冷剤のおかげで中身はまだ凍っていました。

事前情報では電気は再開したものの断水している、ということでしたが我が家は水もなんとか出ていました。
電気、ガスも無事で、風呂にも入ることができました。


●3月14日
月曜日なので本来なら勤務なのですが、職場から「一日休んで15日からしっかり出てこい」と言われました。
昼前に大田原でレンタカーを返却。
ガソリンが既に入手困難でしたので、レンタカーのガソリンを抜いて自分の車に移したかったのですが叶わず。
でも大田原では、まだ少し待てば給油可能(10L制限でしたが)だったので、2か所まわって給油しました。
さらに保存の効くパンや、玄米60kg等を購入。前橋で買ってきた物と合わせ、物質的にはそこそこ余裕ができました。


●3月15日以降
15日朝に2号機から爆発音。
わたしが職場に行った後、これまで(今思うとありえないほど)楽観的なコメントばかりだった政府から
「2号機建屋に損傷があり、放射性物質が外部に漏れている恐れ」
との発表。
さらに追い打ちをかけるように4号機の水素爆発、半径20~30kmの屋内退避退避指示となりました。
米国は半径60kmを立入禁止にした、との情報もあり郡山市も安全とは言えなくなりました。
いざとなってからでは、人口約30万人の郡山はパニックになることが予想されました。
北には福島市、南には須賀川市や白河市があり逃げても混乱に突っ込むだけ…
残った道は西の会津方面ですが、高速道が通行止となっている上に一般道は道幅が狭く抜け道も少なく大渋滞必至。
わたしは、ガソリンが貴重なこともあり県南の職場(原発から80km以上)にしばらく泊まりこむつもりでしたが、
妻子は早めに実家のある岩手県に逃がすことにしました。

わたしは職場で、いざとなった時の避難ルートを考えたりしていました。

幸い、更なる避難を要する事態にはならず、26日~27日にはひとりで買い出しがてら草津に湯治に行ってみたり。
4月にはおおよそ普段通りの生活に戻れました。
最後まで尾を引いたのはガソリン。
わたしは栃木や群馬に出かけたついでに入れられたのでそれほど苦労しませんでしたが、周りにはかなり苦労した人も。


今回感じたことは、
・国は頼らない。
  多分、もっと悪い事態でも「混乱を防ぐため」とか言って情報は出てこない。
  補償や対策も後手後手、自分が当事者だったら…と思うとせつなくなります。
・皆が混乱しているときこそ頭を使って。
  振り返ってみると悪くない行動だったとは思いますが、最悪まで想定しておいて損はない。
  追い詰められて群衆に飲まれてしまってからでは遅い。一手先を行くつもりで。
・面倒がらずケチらず、給油はこまめに。
  今回は幸い車にガソリンが比較的残っていましたが。地方では車が使えないと致命的です。
・緊急時、どこまで職場に残るべきか?
  今回は幸い(?)非番の時に起こりましたが、自分の命や健康も脅かされる事態でどこまで粘るか…
  理想論を語るのは簡単ですが、後から何と言われようと身の安全を確保するために逃げる、という決断も一考。


その他、今回の震災で色々なことを考えました。

大事なのは、どういう結論にしても自分で考えて決めること。
まわりの意見や理想や世間体に流されず、
自分の価値観や確信を持って、物事に当たっていきたいと思います。
人生は「何かを選ぶこと、決めること」の連続です。
全ての選択肢を選ぶことはできないのだから、
自分で決めて、どんな結果であれ楽しくやっていきたいものです。

乱文、長筆失礼しました。
またなにかあったら書き留めたいと思います。ではでは~。
| 時には真面目な話も。 |
| 11:57 PM | comments (0) | trackback (0) |


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